今回ご紹介するのは、44歳の石川淳二さん(仮名)と41歳の紗代子さん(仮名)夫婦です。
淳二さんが36歳、紗代子さんが33歳のときに結婚したお二人でしたが、生きがいにもなっている仕事を優先させるため、「子どもは要らない」と考えていました。
しかし、あるきっかけで「子どもを産んでみよう」と決め、紗代子さんは37歳で妊娠・出産しました。それから約2年を経て、「2人目をどうしようか」と相談したお二人。出した結論は、「諦めよう」というものでした。「もし自分が生まれ変わったら・・・」インタビューの最後に、紗代子さんが今の思いを語ってくれました。

「子どもは要らない」と考えていた理由

紗代子さんが「子どもは要らない」と考えていた理由は、スポーツインストラクターという生きがいや、やりがいを感じていた仕事を優先させたいという思いに加えて、育ってきた環境によるものもあるのだと彼女は自己分析します。
「私には一回り離れた姉がいるんです。さらに私が生まれる間に、母は何度か流産を経験したそうです。だから、両親がすごく私を大事に育てたんですね。12歳離れている姉は、姉というより“もうひとりの母”みたいな感じだったので、とにかくもう何不自由なく育ててもらってきました」
そんな環境で育ってきたため、紗代子さんは「自分も自分がいちばん大事」という性格になりました。その結果、「結婚したい、家庭を持ちたいという気持ちがなくて。ましてや手のかかる子どもを産みたいとは、まったく思わなかった」と言います。
「子どもが嫌いなのかというと、嫌いではないけれど、どう扱ったらいいかわからないという食わず嫌いみたいな感じでした。とにかく自分の好きなことができなくなるのが無理だったんです」
実家に暮らしていたこともあり、好きな仕事に存分に打ち込めたし、自分で稼いだお金も自分の好きなように使うことができました。さらに、仕事仲間や業界の先輩たちのなかにも、そういった独身貴族のような人がたくさんいたため、特に疑問を覚えることもなかったのだとか。
「彼氏ができたと言えば仕事が減るよ。さらに結婚や出産なんてしたら、仕事はもっと減っていくよ。この業界の先輩から、そんなふうに言われたことも少なくありませんでした」
体を動かす仕事という意味では、20代でどれだけのことを吸収できるか、頑張れるかということも頭にありました。だから余計に子どもも結婚のことも後回し。年の離れた姉や母から、「仕事もいいけど、結婚のことも考えたら」と言われることもあったそうですが、聞く耳を持たない。そういう状態が10年近く続いていきました。

「結婚」の二文字が頭によぎったきっかけとは?

目まぐるしいけれど、充実した日々を過ごしてきた紗代子さん。ふと気づいたら30歳が目前に迫っていました。ある日、「少し生活環境を変えてみるのもいいかもしれない」と、居心地がよい実家を離れることにしたそうです。
「その頃、ちょうど知り合いから大きい仕事の話がきたんです。実家からは通えない大都市での仕事だったので、実家を離れて一人暮らしをしてみようと思いました」
29歳にして初めての一人暮らし。ただ生活をするだけでも、やるべきことがこんなにたくさんあるのかと、驚きの日々。自分はどれだけ恵まれた生活をしてきたのか、さらに都会暮らしのなかで心細さも感じて、頭に結婚という二文字が浮かびました。それが33歳のときでした。
当時、紗代子さんには付き合っている彼氏がいました。今の旦那さんでもある淳二さんです。
「インストラクターになるための研修があるんですけど、そこで初めて出会った人です。そのときには、単純に同じ仕事の先輩として憧れのような存在で、まったく付き合うとかそういう対象ではなく、連絡先も知りませんでした」
再会はまだ転居する前のこと。大きい仕事の事前打ち合わせで、その大都市を訪れていたときでした。打ち合わせを終え、建物を出ると、ちょうどそこに淳二さんが通りかかったのです。久しぶりの再会に会話が弾んだ二人は連絡先を交換しました。
「ただ、その後の半年は特に音沙汰もなく、という感じでした。引越し作業で忙しかったのと、別の知り合い伝いに、“彼は結婚した”という噂を聞いていたからです」
しかし、無事に引っ越しも終え、生活が落ち着いてきたところで、携帯電話がなりました。ちょうど時間ができた日があるので、食事でもどうかというお誘いでした。
「結婚したって聞いたんですけどって聞いたら、『え、してないよ。バツもついていないよ』って言われました(笑)。それから何度かお会いしました。それまで同業の人はなんとなく避けてきたんですけど、仕事の事情とか、生活リズムとかも理解し合えて、すごく居心地が良かったので、お付き合いすることになりました」
それでもしばらくは、紗代子さんの頭の中に、「結婚」の二文字はありませんでした。実際、淳二さんに対しても、「結婚はする気ないし、子どもも要らない」ということを公言していたそうです。
しかし、先にも書いたように、いろんな感情が重なり合って、「結婚してもいいかもしれない」という思いが頭に浮かびました。もちろんその相手は、淳二さんです。
「結婚してみてもいいかなってポロっと口から出たんです。そうしたら向こうも『俺もしてもいいと思っているよ』って言ってくれて、トントン拍子で結婚が決まりました」

子どもを作るきっかけは“犬”だった!?

結婚はしたものの、子どもは要らないという気持ちは変わっていませんでした。それは、「結婚したら仕事がなくなる」という危惧があったものの、一時的に仕事が消えていっただけで、むしろ自分の理想的な仕事のスタイルにより近づいたことも関係しています。
「結婚したことで、お客さんがだいぶ変わりました。それまでも決して不満があったわけではありませんが、結婚後のお客さんはすごく良い方ばかりになりました。私のスキルをきちんと評価してくれたうえで、お客さんになってくれている。そういうふうに感じて、より一層仕事に熱が入るようになりました」
「子どもがいてもいいかもしれない」と思ったのは、そこからさらに4年ほどが経ったお正月のことでした。
ふとしたきっかけで捨て犬を飼うことになった石川さん夫婦は、紗代子さんの実家に帰省する際、家に置いていくわけにもいかず、連れて帰ったのでそうです。
「そのとき、父が犬をとても可愛がってくれたんです。私が不在のとき、犬に対して『じいじって言ってごらん』って言っていたらしいんですね。しかも、実家を離れるときには、犬に『これで良いものを買ってもらいな』って言ってお年玉までくれました。一回り上の姉には、すでに子どもが3人いたので、私にその期待は持っていないんだろうなって思っていたら、実はそうでもないことをそのときに知ったんです」
そして、紗代子さんは実家からの帰る道中、「子ども、考えてみようかな」とボソッと口にすると、もともと子どもが欲しいかった淳二さんは、二つ返事で賛成してくれたそうです。

不妊治療の結果、無事に出産できたものの……

思い立ったら即、行動に移すのが紗代子さん。そのとき、すでに37歳になっていたことから、すぐさま不妊治療に詳しい友人に相談したそうです。「できるだけ早い時期に産婦人科に行って、診てもらったほうがいいと思う。夫が原因の不妊もあるから、できれば最初から二人で受診できるところを」ということで、紹介されたクリニックへ行きました。
「夫のほうの検査はまったく問題なかったのですが、私のほうに問題が見つかりました。卵管が2つとも閉じているということで、卵管障害という診断でした」
医師からは、「卵管を通す手術をすることもできるし、体外受精という選択肢もある」という提案をもらった紗代子さん。年齢的にも仕事上も、あまり遠回りをしたくないと思った紗代子さんは、体外受精を選ぶことにしました。淳二さんも、賛成してくれたそうです。
「夫はすごく協力的で、不妊治療では自分で注射を打たなければいけない場面が出てきたのですが、私はもともとすごく注射が苦手で、どうしても自分で打つことができませんでした。あるとき、外せない仕事と注射を打つ時間が重なったときがあって、どうしようって思っていたら、夫が『打ちに行くよ』って言ってくれたんです。車で2時間近くかかる距離を、注射を打つためだけに来てくれて、颯爽と帰っていきました。そのときは惚れ直しましたね(笑)」
採卵で4つの卵が取れ、そのうち3つが受精して胚盤胞となり、凍結保存しました。体調を整えて臨んだ1つ目の移植ではうまく育たなかったものの、2つ目でうまく着床し、順調に育ち、出産に至りました。しかし、帝王切開となった出産では、トラブルが発生したそうです。
「妊娠高血圧症候群になったんです。かなり危ないところまでいって、出産後には1ヶ月ほど寝たきりの状態になりました」
そうした困難こそあったものの、生まれてきた赤ちゃん自体はスクスクと育ち、今では元気な3才児として走り回っています。

紗代子さんが2人目を諦めた理由

1人目のお子さんが2歳になるタイミングで、紗代子さんに「2人目」のことが頭に浮かんだのにはいくつか理由があります。
生まれてきた子どもがすごく愛おしく感じたことはもちろん、夫もすごく可愛がるし、父も母も姉もみんなが喜んでくれたこと。さらに、かわいい子どもに、きょうだいを作ってあげたいということ。そして、凍結受精卵がもう1つ残っていたことでした。
「悩みました。すごく悩みました。その保存していた1つを体に移植すれば、結構な確率で2人目ができるだろうということは予想できました。でも、年齢的には40歳を越えての出産になる。どうしたらいいか、夫に相談しました」
淳二さんは、「紗代子がほしいなら、俺は賛成する。でも、正直に言って、妊娠高血圧症のこともあるので、無理はしてほしくない。その危険を冒してまで欲しいとは思わない」と言ったそうです。
さらに、出産後に復帰した仕事も気がかりでした。というのも、子どもを産んだことで、さらに応援してくれるお客さんが増えたからです。結婚したときと同じように、さらに仕事がうまくいくようになったのです。
「今、実家の父・母をこっちのほうに呼び寄せて、近所に住んでもらっているんですね。子どもの面倒という意味では、すごく助けられています。でも、これが幼い子ども2人となったら、高齢の父母には負担になります。そういうことを総合的に考えたら、諦めるという選択にして、いま目の前にいる子どもを大切にしていこう決めました」
もちろん、そう簡単に結論が出たわけではありません。人生に「もしも」はないけれど、それでもやっぱり「もしも…」と考えることは何度かあったそうです。
「もしも、私が33歳で結婚をして、すぐに1人目に向かっていたら、間違いなく2人目も挑戦していたと思います。もっといえば、もしも自分が生まれ変わったら、3人子どもを産むという人生プランを立てると思います。『子は宝』と言いますけど、本当にそのとおりで。後悔ということではないんですけど、改めて考えるとそういうふうに思います」

*写真はイメージであり、本文の登場人物とは関係ありません。

※本インタビュー記事は、「二人目不妊」で悩んだ人の気持ちや夫婦の関係性を紹介するものです。記事内には不妊治療の内容も出てきますが、インタビュー対象者の気持ちや状況をより詳しく表すためであり、その方法を推奨したり、是非を問うものではありません。不妊治療の内容についてお知りになりたい方は、専門医にご相談ください。